ユニクロの創業者としても有名なファーストリテイリングの柳井正氏は、現在日本人で最もお金持ちの経営者として知られています。米・フォーブス誌によると日本人の長者番付で第1位にランクインしていますが、これまでにも常にランクインするなど長者番付の常連でもある柳井氏ですが、山口県にあった一角の洋服店を世界展開するまでに成長させた経営手腕も評価されています。

この記事では日本一の富豪である柳井正氏の資産や年収を見ていきながら、同氏がどのようにしてユニクロを世界のアパレルブランドにまで成長させたのかについて徹底解説していきます。

柳井正氏の資産とは|資産の内訳

フォーブスジャパンの長者番付・柳井正の資産額が日本1位

米・フォーブス誌のForbes JAPANによると柳井正氏の総資産額は4兆9700億円で2022年から2年連続で日本版長者番付1位を獲得しています。ちなみに2021年の第1位はソフトバンクグループの創業者である孫正義氏でしたが、このときの総資産額が4兆8920億円だったことから当時の孫氏よりも資産額は大きいことになります。

フォーブス誌の世界長者番付。柳井正の資産額は世界39位

また、同誌が発表している世界長者番付でも柳井氏は第39位にランクインしており、資産額は米ドルで326億ドルとされています。柳井氏はユニクロを世界一の衣料品小売店にしたいと公言していることから、海外メディアではユニクロがH&MやZaraよりも大きくなるとして注目を集めています。

ファーストリテイリングの有価証券報告書

ファーストリテイリング社の発表している有価証券報告書によると、柳井氏が保有している株式は21.57%とされています。筆頭株主は日本マスタートラスト信託銀行株式会社の22.42%となっており、それについで3位が株式会社日本カストディ銀行の10.87%となっています。

同社の有価証券報告書にある大株主の状況だけを見ると、一見柳井正氏の資産はそこまでないようにも見えますが、筆頭株主である日本マスタートラスト信託銀行株式会社は実際に信託口で柳井正氏の資産を管理している口座だと考えられます。同様に日本カストディ銀行も信託口であると考えられますので、この両信託銀行が保有している株式は実質的には柳井氏の保有株であると考えられるかもしれません。

また、大株主の状況によるとTTY Management B.V.というオランダ国籍の名称が5.20%の株式を保有していますが、同機関は柳井氏が保有していたファーストリテイリング株を譲渡されたとしており、譲渡の目的は「配当金を主な原資として、社会貢献活動を永続的にかつ幅広くグローバルに実施すること」としています。しかし、一部の報道によるとオランダの『資本参加免税制度』を利用し発行済み株式の5%以上を継続保有すれば配当(インカムゲイン)および売却益(キャピタルゲイン)が非課税になる仕組みを利用していると指摘されています。TTY Management B.V.が保有している株式は531万株とされており、2023年8月期の一株あたり配当金額は期末配当金で165円とされていますので総額8億7615万円の配当金が無税で受け取ることができる計算です。

さらには柳井正氏の息子である柳井一海氏と柳井康治氏がそれぞれ4.68%ずつを保有し、妻の柳井照代氏も2.28%を保有するなど柳井一族で多くの株式が共有されていることが分かります。

同リストに記載されている有限会社Fight&Step(4.65%)と有限会社MASTERMIND(3.53%)も柳井正氏の資産管理会社とされており、両者で8.18%の株式を保有していることになります。上述の日本マスタートラスト信託銀行と日本カストディ銀行の信託口も合わせると41.47%となり、柳井正氏と柳井家の持株比率は80%近くあることが分かります。

また、フォーブス・ジャパンの取材によると柳井氏は渋谷区大山町に約2600坪の豪邸を所有しているとされており、敷地内にはゴルフ練習場やテニスコートを所持しているとされています。

アートにも深い造詣があるとされており、2013年にはアメリカの美術雑誌が発表した世界のアートコレクターの200人にも選出されているほどです。柳井氏が所有しているアート作品の詳細などについては公表されていませんが、かなりのコレクションが所蔵されているそうですので相当な資産価値を持っていると推察されます。

ひいてはハワイのマウイ島にも別荘を所持しており、同地ではゴルフ場を2つ買収しているそうです。柳井氏がこれ以外の不動産物件を所持しているかどうかは不明ですが、これらの固定資産なども含めると4兆9700億円以上の資産を所有している可能性もあります。

柳井正氏の年収

日本経済新聞の報道によれば、柳井正氏の年収は役員報酬で4億円とされています。しかし東洋経済の取材によるとファーストリテイリング株からの配当収入が100億円を超えており、柳井氏の年収総額は109億7700万円と報じられています。

ファーストリテイリングはグローバル化のために報酬の均一化を目指していて、世界各地でも同じレベルの給料を得られるようにするため給与の底上げを行っているとされています。経営者の中では節税のために役員報酬を減額する人もいますが、柳井氏はあえて役員報酬を高くすることで他の役員や従業員も多くもらえるよう配慮していることがうかがえます。

ただ、同氏は華やかな外食や会食を好まないそうで、夕食は自宅で妻の手料理を食べることが日課だとされています。興味のあることはゴルフと仕事しかないとされていますので、贅沢なことで散財をすることはないと見られます。

柳井正氏の生い立ち、経歴

生年月日 1949年2月7日
出身地 山口県宇部市
最終学歴 早稲田大学政治経済学部
役職 株式会社ファーストリテイリング代表取締役会長兼社長

父の経営する『小郡商事』に就職

柳井正氏はユニクロで成功したというイメージが一般的に強いですが、厳密にはファーストリテイリングを創業したわけではありません。同社の前身は柳井正氏の父・柳井等(ひとし)氏が創業した小郡商事で、1949年に宇部新川駅前の商店街に紳士服店「メンズショップ小郡商事」を開業したのがファーストリテイリングの創業とされています。

同年に柳井正氏が誕生していますが、それからおよそ35年の間は商店街の紳士服店として経営していました。当時はECサイトのようなネット通販がある時代ではないため、商店街も景気が良く、同社の業績も良かったそうです。

そこで1960年になるとそれまで個人事業主であった同社を資本金600万円で小郡商事株式会社を設立し、本格的に起業に乗り出します。

早稲田大学を卒業した柳井正氏は総合スーパーのジャスコ(現在はイオングループ)に就職しますが、すぐに退職してしまいます。その後、父の小郡商事に就職しますが、この頃からファーストリテイリングの同族経営という文化が芽生え始めます。

1980年代になると商店街ビジネスが徐々に衰退の兆しを見せ始め、自身を中心に経営改革に乗り出すことになります。

柳井正氏はユニクロでどのように成功したのか

ユニクロは今でこそ安くてオシャレで高品質、というイメージができていますが、立ち上げ当時はうまくいきませんでした。以下ではどのようにして柳井氏がユニクロを成功に導いたのかを見ていきます。

『ユニクロ』の立ち上げ

1984年になると柳井正氏が父から経営を引き継いで代表取締役社長に就任します。ここから同氏は単なる商店街の紳士服屋というイメージから脱却するため、今で言う『カジュアルウェア』の先駆けとなる衣料品店を展開することを決意し、広島市内にユニクロ1号店を開業します。

『ユニクロ』の語源ですが、『ユニークなクロース(Clothes・服)』を売るという意味を込めてユニクロになったとされており、当時はUNICLOと英語は綴られていましたが海外で社名を登記する際に現地の担当者が誤って『UNIQLO』とQにしてしまったことが由来とされています。この頃は若者向けのブランドを安くうることを中心にしていたようですが、カジュアルウェアとテーマとしていたものの現在のように自社ブランド製品を大量生産するスタイルではなかったため頓挫します。

その後、柳井氏はブランド戦略を変更し、ロードサイドの郊外に出店することにします。今でこそアウトレットのように郊外に大型の店舗を展開するやり方は一般的となっていますが、当時衣料品店をロードサイドに出店するという考えは珍しいものでした。ユニクロは若者から車で来店するファミリー層にターゲットを変え、良質の商品を低価格で買えるビジネスモデルで勝負をします。

特にユニクロが売り上げを伸ばすことができた理由としてお店に買い物カゴを置いた点が挙げられます。当時の衣料品店ではスーパーのように買い物カゴを置くことはせず、店員が積極的に接客をすることが一般的でしたがユニクロでは接客をあえてせず、カゴを持たせることでたくさんの商品を買えるようにしました。これが当時のカスタマーエクスペリエンスを変革したとして、現在では高い評価を受けています。

昔のユニクロのロゴ

写真:© Rocky

しかし、この頃から『ユニクロは安い』というイメージができたもののブランドマネジメントが行き届いておらず、安く仕入れることが重要な課題となったため1991年に『ファーストリテイリング』に社名を改称し、SPA(製造小売業)のビジネスモデルへと変化していきます。

ユニクロの成功へ

当時としては小売店が自ら製造業にまで手を伸ばすというやり方は非常に斬新でしたが、これがコスト削減とデザインの自由度を大幅に向上させることになります。この結果、ユニクロが世間で幅広く知られるようになる商品としてフリースが登場します。当時、フリースは1万円以上する高級な衣料品でしたが、ユニクロがそれを数千円台にまで価格を下げて販売すると爆発的人気商品となりました。さらに、購入後の商品の返品・交換が可能というアパレルメーカーとしては異例の対応を見せることで客は安心して商品を試すことができ、これが顧客満足向上に大きく貢献します。

ユニクロのウェブサイト

その後、ユニクロのロゴも有名なクリエイティブ・ディレクターである佐藤可士和氏によってデザインされると日本に限らず世界でも認知されるブランドとなります。これにより『安い服を選ぶならユニクロ』という消極的な選択肢から『オシャレな服が欲しいからユニクロを選ぶ』という顧客にとって積極的な選択肢となり、顧客ロイヤリティも劇的に高まりました。

柳井正氏がユニクロを成功に導いた手法

ユニクロは良品を安く売って成功したと思われがちですが、この記事を読めば同社の成功が単なる価格競争によるものではないことが分かります。柳井氏の経営マネジメントにおいて以下の3点がユニクロ成功の鍵になったと考えられます。

  • SPAの確立
  • 人事制度
  • マーケティング

SPAの確立

今でこそSPAは認知されていますが、当時としては誰も理解できず、柳井正会長自身も当時を振り返ってなかなか起業資金の融資を受けることができなかったと述べています。

ただその甲斐あって、GAP(アメリカ)、H&M(スウェーデン)やZara(スペイン)のような世界的ブランドとユニクロが並んで比較されるようになり、ひいては今後H&Mを抜いて世界最大規模の展開をしていくことが期待されるまでになりました。

SPAは商品の製造をアウトソーシングに頼らず自社で担うため大型の投資となることがネックですが、その分ROIを高めることができるためこの点に早い段階で気づけたことが柳井正氏の経営手腕の巧みさとも言えます。

人事制度

ファーストリテイリングでは早い段階で実力主義の人事制度を導入しており、年功序列ではなく能力の高い人ほど成長できる社内環境が整っているとされています。

また、ジョブローテーションをすることで国内だけでなく海外の店舗でも経験を積み、ユニクロを世界展開させていくことができる人材を増やすことにも注力しています。さらにOJTを通じて社員が早い段階でCRMなどの店舗運営を学ぶことでマネジメント能力を養うことができるのも強みの一つです。

マーケティング

ユニクロは印象的なCMやウェブ広告のような動画マーケティングが多いですが、マーケティングの巧みさでも評価されています。EC事業も展開しているため、ネット販売でも売り上げを伸ばすことに成功しています。

これ以外にも海外へのマーケティングと国内へのマーケティングの両者を使い分けているのが巧みとされています。海外ではユニクロは日本発の高級ブランドとして認知されており、イギリスではロンドンの高級店街に出品したり、2019年にはイタリア・ミラノの中心地に欧州最大規模の店舗をオープンしました。日本と海外とでマーケティング戦略が異なるのは、4P分析を使って柔軟なマーケティングプランを作っているからだと考えられ、これが効果的な海外展開に繋がっているとされています。

また、訪日外国人観光客が増えている中、ユニクロを目当てに来日する顧客も多いのも同社のインバウンドマーケティングを後押ししている要因になっていると考えられます。

柳井正氏の資産を種別に考察

前述の通り、柳井正氏の資産は総額4兆9700億円とされていますが、この多くは同氏と妻や息子の保有している株式によると思われます。ファーストリテイリングはそもそもは柳井正氏の父から引き継いだ事業であり、同族経営が同社の基本にあります。

また、株式以外にも柳井氏が所有する不動産物件やアート、高級車などが固定資産になるとも考えられます。

柳井氏が株式投資などで他の銘柄を所有しているという情報はないため、おそらく事業以外の投資活動をしているとは思われません。そのため、仮想通貨投資もしていないと思われます。

まとめ|柳井正氏の成功からの学び

この記事ではユニクロが代表的なファーストリテイリングの社長兼会長で、現在日本で最も資産を持つ経営者として知られる柳井正氏について解説してきました。

柳井氏が単なる山口県にあった紳士服店を世界規模のアパレルメーカーに成長させることができたのは自身の経営手腕にあると思われます。柳井氏はMBAを取得しているわけでもなく、大学卒業後も父の会社に就職するまでは特に大きな成功を収めていません。

会社を成長させていくためには自分自身を客観的に理解する姿勢というものが経営者として必要であったと同氏は振り返っています。役員の間で360度評価を行ったところ他の人たちは自己評価と他者の評価で乖離があったものの、自身の自己評価と他者の評価は一致していたそうです。それだけ自分を客観的に分析できていたということですが、経営者として成功を収めるためには周囲を引っ張るだけでなく、自分自身も他者の視線から理解する必要があるという教えにもなります。

柳井氏のように日本で一位の富豪になりたいと考えている方は、本記事を参考に自分と会社を客観的に見つめてみると効果的かもしれません。