渡邉美樹氏は日本の飲食業界において重鎮とされる実業家・投資家です。ワタミ株式会社の創業者として広く知られ、主力業態である『居酒屋 和民』は2022年に新型コロナウイルス禍で消滅するまで、大きな経済的成功を収めてきました。渡邉美樹氏の資産と年収については、多くのビジネスマンが興味を持っており、その投資戦略について、学ぶところは多々あります。
Twitter運用もしており、その発言に注目する投資家も数知れず。
本記事では、渡邉美樹氏の資産と年収に焦点を当て、詳細な経歴について紹介します。渡邉美樹氏の経営戦略や資産運用についても解説しているため、資産構築の方法について、深い洞察を得られることうけあいです。
ぜひ、最後まで読み進めてください。
渡邉美樹氏の資産とは|資産の内訳
渡邉美樹氏の資産ポートフォリオは、広範にわたります。資産内訳を詳しく見ていくと、独自のビジネス戦略やROI(投資収益率)など、資産管理のノウハウが垣間見えます。以下の表は、渡辺美樹氏が所有する主な資産項目と資産価値です。
資産項目 | 資産価値(推定) |
有価証券 | 16億2000万円 |
オリエンタルランド株(1000株) | 460万円 |
不動産 | 5億円 |
ワタミ株 | 133億5000万円 |
2014年当時、参議院議員として活動していた渡邉氏は、国会議員資産公開法に基づいて資産を公開しました。株式を除く預貯金などの金融資産と土地、建物を合わせた資産のみの公開でしたが、その総額は17億580万円。2位(6億6870万円)を3倍近く引き離し、ダントツの首位でした。内訳は投資信託などの有価証券が16億2000万円と90%以上を占め、残りはファンを自認するディズニーランドの運営企業オリエンタルランド株1000株などが占めます。この他、渡邉氏の自宅は横浜市みなとみらい地区の高級タワーマンションであるという説が有力で、資産価値は5億円とも言われています。
渡邉氏はさらに、資産管理会社「有限会社アレーテー」を通じて、間接的に大量のワタミ株を保有しています。2023年3月31日時点、同社のワタミ株保有比率は28.66%(約1223万株)、時価133億5000万円超に上ります。アレーテー社は資本金が300万円で資産公開義務はなく、渡邉氏の長男である渡邉将也氏が同社取締役を務めています。これに加え、2015年には「株式会社アレーテー」(資本金100万円)が有限会社アレーテーから分割。こちらもワタミ関連の資産管理会社であると思われます。
渡邉美樹氏の年収
渡邉美樹氏の経済的成功は、起業準備への取り組みや仕事のキャリアを通じて理解することができます。渡邉氏の人生の各段階における年収の変動を追っていきましょう。
若手時代
渡邉氏は大学卒業後、経理会社に入社し、短期間で会計の知識を詰め込みました。その後、運送会社の宅配ドライバーとして勤務。1年間で起業資金300万円を貯金することに成功しました。たった1年で300万円を貯金できるぐらいですから、渡邉氏の年収は平均的なサラリーマンよりも高かったと考えられます。
(H3)ワタミ創業初期〜最盛期
渡邉氏は1984年に起業し、外食産業での武者修行を経て、1987年には、居酒屋「つぼ八」のフランチャイズとして居酒屋事業を開始します。当時、わずか2店舗の運営で年収1億円を突破。渡邉氏独自のカスタマーエクスペリエンス(CX)やブランドマネジメントが、初期の成功を支えた要因と見られます。ワタミは1998年、東京証券取引所市場第二部(東証二部)に上場。株式上場を経て、渡邉氏の年収は爆発的に伸びたものと予想されます。
政界進出期
渡邉氏は2013年、参議院議員選挙に当選。国会議員になって以降、渡邉氏の年収は「国会議員の所得に関する報告書」により公開されています。2014年度の年収は12億8109万円で、公開対象となった国会議員121人中1位の年収となりました。この収入は、外国株式の譲渡益(11億超)が大半を占め、投資知識の高さが如実に表れています。
現在の年収
渡邉氏はすでに政界を引退し、2019年、ワタミ株式会社代表取締役会長に復帰。ワタミグループCEOも兼任しています。現在の年収については確かな情報は出ていませんが、高年収を稼ぎ続けているものと予想されます。グループ内の各事業にとどまらず、資産管理会社「有限会社アレーテー」を通じた資産運用など、その活動は多岐にわたります。これら各事業からの収益は、渡邉氏の年収をさらに押し上げる要因となっていることでしょう。
渡邉美樹氏の生い立ち、経歴
渡邉美樹氏の生い立ちですが、1959年10月5日に神奈川県横浜市で生まれました。高校時代は地元の進学校、神奈川県立希望ヶ丘高等学校に進学。その後は明治大学商学部に進学と、高学歴のエリート街道を走ります。MBA(経営学修士)も、本人が望めば取得できたと思われますが、大学卒業後、社会人となるキャリアを選びます。
生年月日 | 1959年10月5日 |
出身 | 神奈川県横浜市 |
最終学歴 | 明治大学商学部 |
主な役職 | ワタミ代表取締役会長兼グループCEO、参議院議員(1期) |
幼少期〜大学時代
渡邉氏は、神奈川県横浜市に生まれました。彼の少年時代は野球に情熱を注いでいたと言われています。10歳の時に母を亡くし、この困難な状況の中で、父の広告事業の会社が清算されるという経験をしました。この経験が経営者としての道を志すきっかけとなったと言われています。信仰はキリスト教で、その教えは彼の人生や経営哲学の土台となっています。大学時代は明治大学商学部に進学し、学生活動にも熱心に取り組んでいました。東京六大学連盟のボランティアサークル横浜会の幹事長として700人以上のサークルメンバーをまとめあげるなど、当時からリーダーシップを発揮。渡邉氏は、起業するにはどうすれば良いか、学生時代から常に考えていたと後にインタビューで語っています。コンピューターのソフトウェア開発事業か外食事業まで絞り込んだものの、どちらかに決めることができず、答えを探すために大学4年時に北半球1周旅行に出発。旅先での経験を経て、外食事業を選択したといいます。
就職、起業、「居酒家 和民」の成功
大学卒業後、渡邉氏は経理会社「ミロク経理」に就職。その後、佐川急便のセールスドライバーとして、起業資金300万円を短期間で貯蓄しました。この時期、渡邉氏は多くの起業成功例を研究し、自らのビジネスモデルを練り上げたと言われています。1984年に有限会社渡美商事を起業。その後、1987年に経営不振の居酒屋「つぼ八」の店舗を買収し、フランチャイズ・オーナーとしてのキャリアをスタート。この経験が後の「居酒屋といえばワタミ」と言われる大成功へと繋がっていきます。1992年に「居酒屋 和民」第1号店を出店し、その後数年間で急速に店舗数を増やしていきました。2002年時点で「居酒屋 和民」は300店舗以上を、グループ従業員数4000人を突破するなど、外食産業屈指の大企業に。さらに農業や介護、高齢者向けの弁当宅配事業など、事業の多角化を進めていきました。
政界への挑戦と現在
渡邉氏は2011年、東京都知事選挙に無所属で出馬したものの、3位で落選。その後も政治家として公共へ貢献するという意志は変わらず、岩手県陸前高田市の参与、大阪府および大阪市の特別顧問といった役職を歴任しました。2013年には参議院議員として国政選挙に出馬し、見事当選。国会議員として1期を務めたのち、2019年には再び本業へと戻ります。この時から、後進育成にも力を注ぐようになります。同10月1日、ワタミの代表取締役会長兼グループCEOに就任。他にも学校法人郁文館夢学園の理事長兼校長として、教育事業にも注力しています。
渡邉美樹氏はワタミでどのように成功したのか
渡邉美樹氏は外食産業からスタートし、環境、農業、介護へと事業領域を拡大してきました。渡邉氏独自のブランド戦略について深掘りしつつ、ワタミでどのように成功したのか探っていきます。
1980年代:初期の挑戦とワタミ創業
渡邉美樹氏は1984年、有限会社渡美商事を創業。1987年には居酒屋「つぼ八」のフランチャイズとして、居酒屋事業をスタートしました。独自の経営哲学とセールスイネーブルメントを基盤に、事業は大きく成長。1989年にはジェットオーブンを活用したお好み焼きの短時間焼成法を開発し、宅配事業を立ち上げるなど、時代のニーズを先取りするスキルにも長けています。渡邉氏は当初から「顧客満足度(CS)をいかに最大化できるか」という点にこだわっていたようです。
1990年代:「居食屋 和民」ブランドの確立
渡邉氏は1992年10月、「居食屋 和民」中野南口店を開店。ワタミの主力事業が誕生した瞬間でした。「居酒屋 和民」は都内を中心に店舗数を増やし、急速にブランド認知を高めます。カスタマージャーニーやペルソナマーケティングの手法を取り入れ、顧客ニーズに応じたサービス提供を続けたことも、良い影響をもたらしたようです。1996年10月に店頭株式を公開、1998年8月には東京証券取引所市場第二部(東証二部)に株式上場を果たし、一躍、注目企業となりました。1999年には外食企業として初めて国際環境規格ISO14001の認証を取得し、「ワタミ環境宣言」を発表。その後の海外進出や事業多角化に続く、重要なステップとなりました。
2000年代:事業多角化と海外進出
2000年代に入ったばかりの同3月、ワタミは東京証券取引所市場第一部(東証一部)に昇格。 SWOT分析やPEST分析を活用して、事業の方向性を定め、当初の居酒屋事業から介護事業や農業事業へと進出します。また、創業ブランド「居酒屋 和民」も2009年にシンガポールで第1号店を出店。後の本格的な海外進出へと続きます。
2010年代:本格的な海外進出と環境への取り組み
2010年代に入り、渡邉氏は本格的に「居酒屋 和民」の海外出店を開始。中国、フィリピン、韓国、カンボジアなどアジア各国げ「居酒屋 和民」ブランドの進出を進めました。同時期、環境問題への関心も深め、同年に環境省の「エコ・ファースト企業」認証を獲得。グループ子会社のワタミエナジー株式会社(1998年設立)を通じて、風力発電など電力事業への進出も進めます。この頃から渡邉氏は自身でブログやSNSマーケティングを展開し、ワタミの取り組みを広く伝えるブランドアンバサダーの役割も務めるようになりました。
2020年代: SDGs(持続可能な開発目標)の実現
渡邉氏は2020年、岩手県陸前高田市に「ワタミオーガニックランド」の建設を発表。2010年代の環境問題への取り組みを引き継ぎ、循環型社会をテーマにした事業展開を加速させています。2002年から参入している農業事業でも、順調に業績を拡大。23年10月時点で全国7カ所に「ワタミファーム」を展開しています。管理面積は532ヘクタール(東京ドーム約115個分)と、日本最大規模の有機農業事業者としての側面もあります。ワタミは2030年までの10年間で、SDGs(持続可能な開発目標)の実現を最重要課題とし、新たな挑戦を続けています。2023年10月には、創業ブランド「居酒屋 和民」を復活させ、次世代総合居酒屋「和民のこだわりのれん街」として再出発。コロナ禍による業績低下から反転攻勢を目論んでいます。
渡邉美樹氏の資産を種別に考察
渡邉美樹氏が保有するとされる資産は巨額に上ります。渡邉氏の資産ポートフォリオを種別ごとに詳しく分析することで、その投資方針やビジネス戦略に加え、ライフスタイルや価値観についても深く理解することができます。
- 有価証券:渡邉氏の資産の中で比較的大きな部分を占めるのが有価証券で、その総額は16億2000万円に上ります(2014年時点)。これは、渡邉氏が投資リスクを考慮して分散投資を進めている可能性を示唆します。
- 株式:渡邉氏は2014年時点でオリエンタルランドの株を1000株保有しており、その価値は現在の株価レートで換算すると460万円です。また、資産管理会社「有限会社アレーテー」を通じてワタミ株を大量に保有しており、その時価は133億5000万円超に上るなど、資産ポートフォリオの大部分を占めます。有限会社アレーテーのワタミ株保有比率はもともと26.47%(約1045万株)でしたが、ワタミは2021年3月に第三者割当による新株式の発行を実施。アレーテー社が10億円でワタミ社の新株式を引き受け、資産を大幅に増やしました。なお、調達した資金は2020年10月の「焼肉の和民」出店などに使われたようです。
- 不動産:渡邉氏の自宅は、横浜市みなとみらいの高級タワーマンション「ザ・ヨコハマタワーズ」の41階にある、360平方メートル超の物件とされています。その資産価値は、推定で約5億円。これに加えて、同タワーマンションで他にも物件を保有しているとも噂されています。
参考文献
まとめ|渡邉美樹氏の成功からの学び
渡邉美樹氏の成功からは、多くの学びを得ることができます。まず「居酒屋 和民」が成功した理由は、顧客ロイヤリティを高めるブランド戦略にあります。顧客のニーズや期待を超えるサービスを常に追求するカスタマーサクセスを徹底したことで、ブランド認知の向上に成功。さらに、農業や介護、環境事業、電力事業など、時勢に合わせた事業の多角化も進めてきました。これは、渡邉氏が変化する市場環境に適応してきたことを示しています。
渡邉氏の資産運用も特筆に値します。有価証券や不動産など様々な資産クラスに分散投資することで、資産を増やしてきました。ビジネスだけでなく、政界進出や学校法人郁文館夢学園の運営という教育分野での活動を通じ、社会貢献も果たしています。これは渡邉氏のビジョンや価値観が、単なる経済的成功を超えて、より広い社会のためのものであることを示しています。
渡邉美樹氏のキャリアは、挑戦と困難を乗り越えるための学びと成長の連続であり、これからピークを迎えるビジネスマンや起業家にとって、多くの示唆に富んでいます。とくに「起業家精神」「顧客中心の経営」「社会貢献」という3つのキーワードは、渡邉美樹氏の成功を支える主な要因と言えるでしょう。