日本を代表する富豪といえばユニクロで知られるファーストリテイリングの柳井正氏と並んで有名なのがソフトバンクグループ創業者の孫正義氏と言っても過言ではありません。孫氏が創業したソフトバンクグループから携帯事業のソフトバンク、さらにオーナーを務めるプロ野球球団ソフトバンクホークスなどソフトバンクの名前を知らない人は少ないほどでしょう。

この記事ではソフトバンクを一代で大企業に育て上げた孫正義氏について資産や年収を見ていきながら、どのようにして成功したのかを解説していきます。

孫正義氏の資産とは|資産の内訳

フォーブスジャパンで公開されている孫正義氏の資産

フォーブスジャパンが公開している日本長者番付によると2023年時点で孫正義氏はユニクロ(ファーストリテーリング)の柳井正氏とキーエンスの滝崎武光氏に次ぐ第3位にランクインしています。これによると孫正義氏の資産額は2兆9400億円とされています。孫氏は2021年など以前では長者番付で1位になることもあり、ソフトバンクグループ株の株価によっては資産額が上限しているようです。

フォーブスの世界長者番付・孫正義氏の資産は世界第69位

また、米国版フォーブスの発表している世界の長者番付によれば孫正義氏の資産額は224億ドルで第69位につけています。2021年に孫正義氏は資産額454億ドルで29位にランクインしていますが、それ以来ランクが下落している要因として円安が考えられます。

孫正義氏の資産額の内訳ですが、その多くはソフトバンクグループ株によるものと思われます。ソフトバンクグループが発表している2022年度の有価証券報告書によると、孫氏は全体の29.16%を保有している筆頭株主となっています。また、孫氏の資産管理会社である孫コーポレーションが1.30%と孫アセットマネージメント合同会社が1.26%の株式を保有していることから、孫氏が直接的にも間接的にも保有している株式量は31.72%と3割以上であることがわかります。2023年3月末時点でソフトバンクグループの保有株式価値は19.7兆円ほどとされていますが、単純計算で考えるとその3割近くが孫氏の株式であることを考えるとどれだけ資産が大きいかがわかります。

ソフトバンクの有価証券報告書

孫氏は麻布と白金、またアメリカのシリコンバレーにも自宅を構えているとされており、いずれも豪邸とされています。これが事実であれば相当な資産額になるとも考えられますが、自宅以外に不動産を所有して運営しているかどうかは不明です。孫氏にまつわる報道などから見ても不動産投資などは特に行っていないと考えられます。

ソフトバンクグループの株式の他に孫氏が投資しているものとしてソフトバンクのビジョンファンドがあります。これは10兆円という世界最大規模のテクノロジーファンドで、孫正義氏も個人の資産を投じるコミットメントぶりです。ビジョンファンドは2023年現在で損失を計上していることから、同年度の長者番付で孫氏の資産額が減りランキングが低下した要因になったとも考えられます。

孫正義氏の年収

孫正義氏の資産

孫氏は上場企業の中で最も稼いだ経営者として長く知られており、一部報道によると2022年度のソフトバンクグループ役員報酬は1億円でしたが配当を含む収入は187億7300万円だったと報じられています。そのため役員報酬と配当収益を含んだ年収の総額は188億7300万円だったとされています。ユニクロやGUを展開するファーストリテイリングの柳井正氏の役員報酬が4億円、配当収入が136億6200万円の140億6200万円だったことから、柳井氏よりも48億円以上年収が多かった計算になります。

孫正義氏の生い立ち、経歴

孫正義氏は今や日本を代表する富豪であり、日本にApple社のiPhoneが初登場した時にはソフトバンクが独占的に供給していたことからiPhoneを日本にもってきた人としても多くの人に覚えられていますが、孫氏の生い立ちは恵まれたものではありませんでした。同氏が佐賀の在日朝鮮人の家庭で生まれ育ったことは有名な話ですが、以下では孫正義氏の生い立ちからソフトバンクを起業する経歴までを見ていきます。

生年月日 1957年8月11日
出身地 佐賀県鳥栖市
最終学歴 米国・カリフォルニア大学バークレー校経済学部(University of California, Barkely)

不遇な幼少期

孫正義氏は佐賀県鳥栖市に生まれ、当時は在日朝鮮人の人たちの集落があり、孫氏の家族もそこで暮らしていました。孫氏によると戸籍には「佐賀県鳥栖市五件道路無番地」と書いてあったそうで、線路脇の空き地に不法につくられたバラック住居に住んでいたことからこのような表記になったと思われます。孫氏はジャーナリストへのインタビューの中で家族が密造酒を作っていたことも明らかにしており、リヤカーで祖母とともに近所を周りながら豚の餌となる残飯をもらうなど貧困を極めていたそうです。父は消費者金融業やパチンコ業などで成り上がり、孫氏がものごころつく頃にはかなりの資産をつくったそうです。

米国留学

孫正義氏は高校を中退して米国に留学します。1977年にアメリカの名門大学であるカリフォルニア大学バークレー校に入学するのですが、このとき英語力の乏しかった孫氏が試験官に時間の延長と辞書の使用を認めるよう交渉し、州の教育委員長にまで電話をかけて承諾を得たという有名なエピソードが残されています。

孫氏は同大学では経営学部に入りますが、有名大学を卒業して日本の大企業に就職しようと言う気はさらさらなかったようで、経営学大学院に進学してMBAを取得していません。むしろ学部生の頃から起業の準備を始めており、実際に在学中から孫氏は音声付きの自動翻訳機の開発に着手し、校内から専門家を集めプロジェクトチームを作ることにしました。学生だけの力では難しいため、同大学の教授にアウトソーシングして報酬を与えて開発させたという逸話も残っており、この頃から高いビジネスインテリジェンスを持っていたことがわかります。

孫氏は完成した自動翻訳機を持って日本に帰国し、電機メーカーのシャープに売り込みをかけます。この商談を成功させ、契約金の1億円がソフトバンクの起業資金となります。

ソフトバンクを起業

孫氏はアメリカでソフトウェア開発会社の『ユニソンワールド』を設立し、日本で流行していたインベーダーゲームを米国に輸入し販売することで大きな資金を手に入れました。

この後、日本に帰国すると再び同名の『ユニソンワールド』を福岡県に設立しますが、その後『日本ソフトバンク』を設立して代表取締役社長に就任します。同社の社名の由来として、これから一家に一台パソコンを持つ時代がやってくると様々なパソコンソフトへの需要が高まるようになるため、ソフトの一台卸売業者となることから『(パソコン)ソフトのバンク(銀行)』を作るという意味で『ソフトバンク』と名付けられました。

孫正義氏はソフトバンクでどのようにして成功したのか

孫正義氏やソフトバンクはiPhoneの販売などのモバイル事業で主に知られていますが、ソフトバンクの成功はモバイル事業以前に遡ります。以下では孫氏がソフトバンクを成功させるうえで重要な節目となった出来事についてまとめていきます。

Yahoo! JAPANの設立

今や日本で中心的なニュースサイトとなったYahoo! JAPANですが1996年にソフトバンクと米国の本家Yahoo社の合弁会社として設立され、孫氏が代表取締役社長に就任しました。今でこそGoogleに次ぐ有名な検索エンジン・ポータルサイトとなったヤフーですが、当時は社員が数人しかいないベンチャー企業でした。日本のIT業界において“天才”と呼ばれ、孫氏ともライバル関係にあったとされる西和彦氏は孫氏のヤフーへの投資について「1995年、当時利益も上がっていなかったヤフーという会社に100億円もの投資を行ったが、当時ヤフーにそれだけの価値があると誰も思っていなかった」とメディアへのインタビューのなかで振り返っており、孫氏の先見の明の高さがわかります。

その後ヤフーと共同でインターネットサービスのYahoo!BBのサービスを開始し、パソコンソフトの卸売事業から通信テレコム事業へ本格的に移行することになります。

モバイル事業への参入

2006年になるとソフトバンクは英国ボーダフォン(Vodafone)の日本法人を89億ポンド、当時の価格で約1兆7500億円で買収することを発表します。当時はドコモとKDDIが2大携帯事業者となっており、第3のキャリアーとしてボーダフォンが日本市場に参入していましたが市場開拓に困難を極めていました。このことを知った孫氏がボーダフォンを買収した理由はのちになって明らかになることですが、Apple社のスティーブ・ジョブズ氏が開発していたiPhoneにあると言われています。ジョブズ氏と懇意だった孫氏はある時、Appleで革新的な製品が開発されていることを聞きます。Appleもジョブズ氏も企業秘密のためそれがiPhoneであることは教えてくれませんでしたが、モバイル関連の製品であることを察知した孫氏は日本でその製品を独占販売できるよう準備を急ぎました。

無事iPhone3Gの日本での独占販売権を獲得することができた孫氏ですが、その後つながりにくいなどの電波問題で周波数割り当てについて総務省などにぶつかり合うなどありましたが、その後プラチナバンドを獲得すると同社の電波も改善されていきました。

今でこそiPhoneはドコモとKDDIなどのライバル各社も販売できるようになりましたが、この独占販売によってソフトバンクは多くの顧客を獲得することに成功しました。

投資家として

ソフトバンクと言うと多くの人はモバイル事業の会社としての“ソフトバンク”を思い浮かべますが、孫正義氏が大きな資産を築き同社を大企業と成長させることができたのはモバイル事業だけが大きな理由ではありません。ソフトバンクグループの主な事業は『投資』で、投資事業が同社の大きな成長と財源になっています。

孫氏を知る人が彼を評価する上で言うことが『大胆な投資ができる勇気』という言葉が挙げられます。というのも、同氏が最初に成功した大規模な投資事業がまさにヤフーだったからです。前述の西和彦氏が述べている通り、当時ヤフー社に対して100億円もの投資価値があると見ていた人は孫氏のほかに皆無でしたが、孫氏はメガバンクから資金を借り入れてまでYahoo! JAPANに投資をしています。

この当時、孫氏はほかにも中国のECモールであるアリババグループ(Alibaba)に投資をしていた数少ない投資家の一人となっています。アリババの創業者であるジャック・マー氏は学校の教師からEC事業の起業家に転身した異例の職歴を持っていますが、孫氏が2000年に訪中した際マー氏からの5分のプレゼンで孫氏が投資させて欲しいと頼むほど孫氏にとってアリババの事業に将来性を覚えるものだったそうです。

孫氏は2000年代から自身の事業のかたわらスタートアップ企業への投資も行っており、ヤフーとアリババが投資で成功した主な起業の成功例とされています。

これらの企業の他にも欧米や欧米、アジアなど有望だと思うスタートアップ事業には次々に投資をしており、これらの企業が成長するとソフトバンクグループも成長するというサイクルが完成されることになります。

孫氏の投資家として成功できる要因

ここまで見ると孫氏は失敗知らずの破竹の勢いで企業を成長させた勝負師のようにも見えますが、実際には多くの起業の失敗を経験しています。孫氏が投資や事業で成功できた主な理由として、以下の2点が挙げられます。

  • これと信じたら大胆に投資する熱量
  • 人を信じる力

これと信じたら大胆に投資する熱量

孫氏が投資で成功するところを見ると多くの人は『先見の明があるんだろう』と思ってしまいますが、実は成功の影で多くの損失を出しています。というのも、過去の投資の成功例としてはアリババとヤフーが挙げられますが、実は当時投資していたこの2社以外の投資案件はいずれも上手くいっていません。しかし孫氏は失敗は気にせず、ひとつで大きく当てて小さな失敗を補填すればよいと考えるからこそ、ヤフーという日本最大級のオウンドメディアを手に入れることができたといえます。

事業においても大きく勝つことでそれまでの損失をカバーすればよい、という考えで行うことで他の競合他社よりも優位性の高い事業展開ができていると考えられます。

人を信じる力

孫氏は一代でソフトバンクを大企業に押し上げたことからワンマン経営であると思われがちですが、実際には事業責任者を割り振る手腕も巧みであることが知られています。適材適所のワークフォースマネジメントを行うことでできるだけ事業を他に割り振り、自身は投資事業に集中できるようにしていることが成功の要因としても考えられます。事実、携帯事業などではソフトバンクグループ内No.2の宮内謙氏に「あとは頼むよ」と事業を引き継がせましたが、それだけ重要な事業を側近に預けることができるのも信頼以上の勇気が必要です。

孫正義とジャック・マー

また、アリババに投資を決めた際についてメディアから尋ねられた際、「彼は事業計画書 もなく、収入もゼロだったが、彼の眼差しは強く輝いていた。彼の話し方やものの見方から彼はカリスマ性のリーダーであることがわかった」と述べています。それだけで20億もの資金を投資することを決めるわけですから、孫氏の人の潜在的な力を見抜く力は優れていたといえます。

孫正義氏の資産を種別に考察

孫正義氏の資産ですが、上述の通り主なものはソフトバンクグループの株式にあると思われます。3割強の株式を保有しているだけでなく、同社の率いるビジョン・ファンドでも自身の資金を当時ていることから多くの資産は株式と投資案件からの株式であると推察されます。

また不動産や様々な高級品の数々などがあると考えられますが、孫氏はコンビニ弁当も好んで食べると言われているほどですのであまり大きな贅沢や散財はしないと見られます。

まとめ|孫正義氏の成功からの学び

この記事では日本を代表する起業家である孫正義氏について自身の資産や年収、成功までの道のりについて解説してきました。孫氏は在日朝鮮人という生まれによって差別される経験をしたそうですが、そんなネガティブな経験も『将来成功して家族を楽にする』という情熱に変えていたとされています。

幼少期にも経済的に恵まれない家庭環境にあったにも関わらず、一代で企業を成長させた要因には自分を信じて前に進む力強さと他の人を信頼する柔らかさの剛柔を使い分けた経営手腕にあると考えられます。

孫氏は「世に生を得るは事を成すにあり」という坂本龍馬の言葉を大事にしているそうで、若い人には「自分がのぼりたい山を決めよ」とアドバイスしています。起業するには教科書はありませんので、孫氏のように自分の極めたいと考える山を定めてそこに向かって進んでみると成功に近づけるかもしれません。