日本を代表する経営者の元祖にはソニーの創業者である盛田昭夫氏やパナソニックの松下幸之助氏、日本マクドナルドの藤田田氏などがいますが、そのなかでも稲盛和夫氏は世界的に有名な実業家です。稲盛氏は日本では『経営の神様』とさえ呼ばれるほど日本の経済界で多大な貢献をしてきた人で、彼の経営手腕は現在でも多くの人に影響を与えています。
この記事ではそんな稲盛和夫氏の生前の資産や年収を振り返りながら、同氏が京セラで成功した要因について徹底解説をしていきます。
稲盛和夫氏の資産とは|資産の内訳
稲盛和夫氏は2022年8月24日に逝去しているため、同氏の資産は相続されていますが生前の資産は1000億以上あったとされています。その多くは京セラの株式で構成されたと思われます。
稲盛和夫氏の資産・株式
稲盛和夫氏の主な資産は自身が創業した京セラの株であったとされています。生前の内訳を見ると、京セラの2022年に発表された通期の有価証券報告書では以下のように記載されています。
大株主の氏名・名称 | 所有株式数 | 所有株式数の割合 |
稲盛和夫 | 1021万2000株 | 2.85% |
公益財団法人稲盛財団 | 936万株 | 2.61% |
日本マスタートラスト信託銀行(株)(信託口) | 7989万5000株 | 22.26% |
日本カストディ銀行(信託口) | 2648万3000株 | 7.38% |
その他 |
生前の稲盛氏の所有株式数は1000万株ほどになっており、筆頭株主になっていなかったことがわかります。しかし日本マスタートラスト信託銀行と日本カストディ銀行は信託口となっており、稲盛和夫氏や家族の資産管理を行っていた口座とも考えられますので、その場合は稲盛一家が3割強の株式を所有していた可能性もあります。
2022年当時の京セラの株価は6000円台なかばから7000円なかばのレンジとなっていましたので、仮に一株あたり7000円の価値だったとすると、稲盛氏が所有する株式だけで714億8400万円ほどの資産を有していたことになります。これに合わせて信託銀行の信託口が稲盛氏に関連するものであれば稲盛和夫氏の資産は1000億円以上あったとしても不思議ではありません。
稲盛氏の逝去後、京セラの有価証券報告書には同氏の代わりに金澤しのぶ氏と稲盛瑞穂氏の名前が記載され、それぞれ523万7000株ずつを保有していることが明らかになっています。金澤氏と稲盛瑞穂氏は稲盛和夫氏の娘で、金澤氏は公益財団法人稲盛財団の理事長を務めています。稲盛和夫氏の保有株は1000万強だったことを考えると、ふたりの娘が500万強の株式を同等量保有していることは、父・和夫氏の株式を均等に相続したと考えられます。ちなみに稲盛和夫氏には娘が3人いるとされており、もう一人の娘が同氏の資産を相続したのかどうかは不明です。
また、稲盛氏はモバイル事業の会社であるKDDIを設立したことでも知られていますが、同社の有価証券報告書では個人が株式を所有しているとはされておらず、稲盛氏が個人で株式を保有していたとは思われません。そのため、KDDIの株式による資産は所有していなかったと考えられます。
稲盛和夫氏の資産・不動産
稲盛和夫氏が不動産投資をしていたかどうかは不明ですが、京都市の中心である伏見区に自宅である豪邸があるとされています。具体的な土地の価格や資産価値、敷地面積などは明らかではありませんが、京都の中心という立地を考えると数億円から数十億円ほどの価値があっても驚きではありません。
稲盛氏は仕事に情熱をかけていたため、不動産や株式などに積極的に投資していなかったものとみられます。
稲盛和夫氏の年収
稲盛和夫氏の生前の年収ですが、確かなデータは公開されていません。というのも、稲盛氏は2005年から京セラの名誉会長職に就任しており、KDDIでも2001年から最高顧問という立ち位置になっていることからどれほどの報酬を受け取っていたのかが明らかではないからです。
ただ、報酬が1億円以上の場合だと有価証券報告書に記載されている可能性がありますが、稲盛氏に関しての言及は2022年までのもので確認されていないため多額の報酬を受け取っていなかった可能性があります。
稲盛氏は経営手腕だけでなく人格者としても知られており、2010年には日本航空(JAL)の再建のために無報酬で会長に就任して尽力した経緯があります。そのため、京セラなどでも会長職や名誉職などに退いた後も低い報酬で貢献していたと考えることができます。
ちなみに、京セラの役員報酬は2023年3月時点で3億8800万円とされており、稲盛氏が現役の会長だった時代には当時としては高額な年収を稼いでいたことが想像されます。
稲盛和夫氏の生い立ち
日本を代表する富豪になったことから稲盛氏は幼い頃からエリートだったのではと思われがちですが、実際は田舎で育った青年で特にコネや有名大学卒という肩書きがあったわけでもありません。以下では稲盛氏が京セラを立ち上げる前の生い立ちについて解説していきます。
生年月日 | 1932年1月30日(2022年8月24日逝去) |
出身地 | 鹿児島県鹿児島市 |
最終学歴 | 鹿児島大学工学部 |
大学時代
稲盛氏は7人兄弟の次男として生まれ、両親は印刷屋を経営していたそうです。子供の頃から親分肌だったようで、今で言うリーダーシップの素質があったと若い時の稲盛氏を知っている人は振り返っています。
稲盛氏は医学や薬学に興味があったそうで、そちらの方面に進学するため大阪大学の医学部を受験しますが不合格になってしまいます。そこで地元の県立鹿児島大学の工学部を受験し進学することにします。
工学部に進学したものの当時は就職難で就職先を見つけるのは非常に大変だったそうです。有名企業に就職するにはコネが必要であったため、地方大の稲盛氏には難しいことでした。稲盛氏は自身の著書の中でこの当時のことについて「いっそインテリヤクザにでもなってやろうかと思った」とさえ振り返っています。
しかし大学の先生の紹介でガラス製造の会社に就職することができます。当時稲盛氏の専攻はガラス製造ではなかったそうですが、就職するための条件として卒論でガラスやセラミックなどを勉強することを指示されたことがきっかけとなり、のちの京セラにつながることになります。
就職、仕事の仕方を学ぶ
1955年、稲盛氏は京都の老舗ガラスメーカーである松風工業に就職します。しかし赤字続きの会社で給与が遅れたり社寮はボロボロなど待遇がよくなかったそうです。自身の著書の中で、多くの同僚が辞めていったものの自分は辞めて他に行くところがなかったため仕方なく残っていたと記しています。ここで不平不満を言うのは止め、嘘でもいいから「仕事が楽しい」と自分に言い聞かせて仕事に臨んだところ仕事への姿勢が前向きになり研究に没頭することになりました。
その頃稲盛氏は『フォルステライト磁器』と呼ばれる製品の開発に携わっていました。これはブラウン管テレビに必要な部品で、当時は欧米など海外からの輸入に頼っていたため稲盛氏を中心にこの製品の国内生産を可能にすると同社にとって大きな収益部門に急成長します。
この後、同社で稲盛氏がセラミック真空管の開発に携わっていたものの、同社から開発チームを離れるように指示されたため、辞表を提出します。同部署の部下たちも次々に辞めると言い出すと、稲盛氏たちが集中してセラミック開発できる会社を作ろうと動き始めます。
京セラの創設
出典:京セラウェブサイト
会社を辞めたものの、会社設立費用もなかった稲盛氏たちは宮木電機製作所の重役を何度も訪問し、起業資金調達に成功します。この際、出資を決めた宮木電機の3人は自己資金を提供し、なおかつ株式を要求しなかったそうで、純粋に稲盛氏たちの将来性を見込んでお金を貸したとのことです。なかには自宅を抵当に入れて1000万円を融資した人もいたそうで、それだけ稲盛氏が信頼されていたことがわかります。
そして1959年に従業員28名で京セラを創業します。社名の語源ですが、その名の通り京都とセラミックを合わせたことが由来となっています。
稲盛和夫氏は京セラでどのように成功したのか
今でこそ『経営の神様』として尊敬されている稲盛氏ですが、そもそも理系出身でMBAなど経営学を学んだわけではなかったため京セラを立ち上げた当初はわからないことが多かったそうです。それでも経営を極めることができたのには稲盛氏特有の仕事への情熱があったからだと言われています。
そんな稲盛氏が京セラの経営において成功することができた最大の要因として以下の3点が挙げられます。
- 自己資本比率重視の安定経営
- アメーバ経営
- 考え方×情熱×能力
自己資本比率重視の安定経営
稲盛氏が2009年に行われた中外管理官産学懇談会の講演で京セラの経営について話しところ同社は「50年に及ぶ歴史の中で一度も赤字決算に陥ったことはない」と述べています。稲盛氏は、京セラは無借金経営とも話していましたが実際には有利子負債以上に現預金が多い実質無借金経営としても有名です。それだけ内部留保が多く、有事の際には留保された現預金で補うことができるため、不況などの際にもリストラなどをすることなく安定して経営することができているとされています。
通常、経営においては借入をすることでレバレッジを高め、ROIを高めることがビジネス効率が良いとされています。株式会社の場合、株式をうることで投資家から調達した資金を効率よく運用し、利益率を高めるROE(自己資本利益率)を高めることが求められますが、稲盛氏はこの経営手法に反対しています。
ROEを高めることは株価上昇にもつながるため、投資家はよく経営陣により借入を増やしてリターンを大きくすることを求めますが、稲盛氏はこのようなアメリカ型の資本主義では長期的に繁栄する企業を作ることができないと指摘しています。
短期的な株価をあげるゲームではなく長期的に発展できる企業を目指す上で稲盛氏は『できるだけ借金をしない』という堅実な方針を持っていたことで京セラを安定した大企業に成長させることに成功したと考えられます。
アメーバ経営
アメーバ経営は稲盛氏の経営手法として代名詞でもありますが、これはいわば全員参加型の経営手法といえます。というのも、アメーバは体が分離しても細胞が死ぬことなくアメーバとして増殖することができますが、稲盛氏は同様に様々な部署などを小グループ化し、その中で経営目標などを持たせることで全体の経営を効率化しようとしました。
通常、経営というと重役が方針を決め、それを上位下達的に他の部署に命じますが、稲盛氏の手法では会社の組織を独立採算の小グループにわけます。これにより市場の変化などに即座に対応できるようになり、部門別採算管理を行うことで細かい経費を最小化しつつ、売り上げを最大化することができます。
独立採算型の経営は当時としては斬新で、それぞれのグループに予算管理が求められるため社員全員が当事者意識を持って責任のある運営をすることができます。こうすることで収益拡大の意識が下の社員にまで共有されやすくなり、事業スピードが加速しやすくなります。つまり、言い換えると経営陣がする仕事をそれぞれ現場のグループに担わせることでより経営への意識が高まるメリットがあります。
ただ、欠点としては部署などによってグループを細分化してしまうため、組織間の競争になりやすくなってしまう点が挙げられます。自分の部署の利益を最大化するために他部署が不利な状況になるということになると、会社全体で繁栄するという目的に反してしまう結果にもなりかねません。また、各部署に利益を最大化することを求めてしまうと品質を下げたり、ノルマ達成のために無理をしてしまうなどの弊害も発生しやすく、ブランドマネジメントや顧客管理の点でも問題になる可能性があります。
考え方×情熱×能力
稲盛氏には独自の仕事への考え方があり、『考え方×情熱×能力』を提唱していました。これは考え方×情熱×能力=仕事の結果である、という考えで、仕事ができる人というのは能力だけではないという考えに基づいています。
一般的に『仕事ができる』という人は好成績を残したり、優秀な頭脳を持っていたりと考えがちですが、稲盛氏によればそれはひとつの要素でしかなく、その他に考え方と情熱を掛けることで真の仕事の結果として現れると考えていました。
考え方×情熱×能力=仕事の結果は、まず能力と情熱を0点から100点まで数値化します。能力が高くても情熱が低いと数値は大きくならず、逆も同様です。ただ、能力は高くなくても情熱を上げることで仕事の結果を向上させることはできるという意味でもあり、稲盛氏は考え方や能力だけでなく、情熱も複合的に見ることで社員個々人のポテンシャルと生産性を高めようとしました。
さらに京セラでは朝から社歌が放送され、京セラ体操を社員全員で行ったり、フィロソフィーの輪読を行ったりと独特な企業文化を持っているのも特徴です。これは稲盛氏が徹底していたところですが、社員にこれらの共通する行事を行わせることで各個人に責任感と帰属意識を持たせることが目的とされています。
稲盛和夫氏の資産を種別に考察
稲盛和夫氏は日本を代表する経営者として知られていますが、『創業したら法人に魂を吹き込め』と言っていたように、仕事以外では多くのことに手を伸ばしていないようでもあります。稲盛氏の資産のほとんどは京セラ株だったと考えられ、稲盛財団を設立して自身の資産を社会貢献に生かすなどしていました。その例としては盛和塾と呼ばれる勉強会を開催したり、『京都賞』と呼ばれる国際賞を設立するなどがありますが、晩年には多額の寄付をするなどして自身の資産を他の人に提供しています。
まとめ|稲盛和夫氏の成功からの学び
この記事では『経営の神様』として知られる稲盛和夫氏について、資産や年収を見ながら小さな企業だった京セラをいかにして世界的な企業にまで成長させたのかについて見ていきました。
稲盛氏はアメーバ経営と呼ばれる独自の手法で社員全体に採算意識を持たせることに成功しました。これにより末端までコスト削減と利益最大化の意識を徹底させることができ、社員の成長を促すことができたと評価されています。
また、稲盛氏自身は経営などについて学ばなかったため、当初は自信がなかったとされていますが、借金をできる限り少なくして内部留保を増やし、不況や有事の際でも安定して経営できる現預金に余裕のある企業体質を作ったことは高く評価されています。
京セラの起業にはリスクがあったものの、稲盛氏のように情熱を持って無借金の企業文化を作ることで同社を世界的企業にまで成長させました。いま起業の準備をしている方はアメーバ経営を取り入れてみると会社全体の底上げにつながるかもしれません。