『メタルギアソリッド』の生みの親、小島秀夫氏の資産額を紹介します。コナミのゲーム部門で一時代を築いた小島氏。生い立ちや独立後の年収など、今や世界が注目するクリエイターの経歴をご覧ください。
小島秀夫氏の資産
ブラジルのゲームショウで展示された『メタルギア』シリーズのパネル(Paulo Guereta from São Paulo, CC BY 2.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/2.0>, via Wikimedia Commons)
海外の情報源によると、2023年の小島秀夫氏の資産額は30万ドル(約45億円)です。ゲームクリエイターとしての年収分が主な収入源と見られ、自身が全株を保有するコジマプロダクションの資産額も計算に入れた数字と思われます。
小島秀夫氏は、2015年までコナミ(ゲーム開発などを行う日本の会社)のゲーム部門でクリエイターとして働いていました。現在の資産は独立後に築き上げてきたものと見られ、コナミ退社により個人的な資産が倍増したものと推測されます。
退社後に立ち上げたコジマプロダクションは、ゲーム開発を専門に行う開発スタジオです。処女作として2019年にリリースされた『DEATH STRANDING(デス・ストランディング)』は、発表直後から話題作として注目されてきたビッグタイトルです。
ゲームの売り上げがどれだけ資産額に反映されたかは不明ですが、45億円という数字は一クリエイターとしては異例の額です。世界的な名声を得ている小島秀夫氏は、今後も新作ゲームの開発を通して資産家としての地位を確立していくものと思われます。
資産の内訳
コジマプロダクションは非上場企業のため、株価に関する情報は非公開となっています。一方、前述のゲームの売り上げにより150億円以上の収益を上げたと推計する情報源もあり、会社の価値の高さは小島秀夫氏の資産額に直接影響するものと思われます。
このため、小島秀夫氏の資産額はコジマプロダクションの財政状況に左右されると言っていいでしょう。年収による貯蓄分が占める割合は低いと見られ、持ち株以外に特記に値する資産があるかどうかは定かではありません。
上月景正氏との比較
2015年に退社するまで、小島秀夫氏はコナミデジタルエンタテインメントでゲーム制作を担当していました。上月景正氏はコナミの創業者かつ代表取締役会長で、2023年の資産は約2020億円と見積もられています。これはアメリカの経済誌『フォーブス』が推計した数字で、上月氏は同紙の資産家ランキングで36位に着けています。
上月氏が小島秀夫氏の慰留に至らなかったのは、個人及び会社としての資産の大きさが原因と言えるかもしれません。上月氏は過去5年で資産額を50%アップさせており、コナミの業績が極めて順調であることを示しています。会社の運営方針に自信を感じていることは間違いなく、コナミの人事役員も会社の側に立つ判断を下したものと見られます。
コジマプロダクション
設立年 | 2015年 |
社員数 | 100名 |
資本金 | 500万円 |
事業内容 | コンピューターゲームの開発 |
ホームページ | https://www.kojimaproductions.jp/ja |
LinkedIn公式 | https://jp.linkedin.com/company/kojimaproductions |
小島秀夫氏の資産の大部分は、コジマプロダクションの収益によって構成されていると思われます。同社は年収550万〜程度から求人を出しており、給料面ではそこそこの待遇だと言えるでしょう。その代わり、10時に出社かつ規定の労働時間なしと、かなり自由な働き方を提案しています。
口コミでは「とてもクリエイティブでやりがいのある環境」とされており、ゲーム開発特有の労働環境がうかがえます。資本金が少ないのも特徴で、小島秀夫氏の会社設立前の資産が控え目だったことを裏付けています。
小島秀夫氏の年収
カリフォルニアのコナミデジタルエンタテイメント本社(DigitalIceAge, CC BY 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/4.0>, via Wikimedia Commons)
小島秀夫氏の現在の年収は不明ですが、自身の会社から受け取る給料や講演料などが主な収入源だと思われます。以前に勤めていたコナミでは月並みの給料を受け取っていたと見られるため、過去に比べると年収は増加したとみて良さそうです。
コナミデジタルエンタテイメント
コナミ時代の小島秀夫氏の年収は1000万円超と推計されます。これは求人サイト上の同社の給料情報を参考にした数字で、同社の50~54歳の平均年収は642万円、会社全体の最高年収は1000万円以上と推計されています。
小島秀夫氏がコナミを退社したのは52歳の時で、当時はエグゼクティブコンテンツオフィサーを務めていました。以前には執行役員副社長や上席執行役員を歴任した経験もあり、年収も肩書きに比例して特別大きな額をもらっていたと推測されます。
現在の年収
45億円という資産額や会社員時代の平均的な年収を考慮すると、小島秀夫氏の年収は退社後に大幅アップしたものと考えられます。正確な数字は不明ですが、コジマプロダクションの収益を考えると1億円近い額を受け取っていても不思議ではありません。
過去に制作や監督を担当したゲームは著作権がコナミにあると思われ、これらの製品から収入を得ているとは考えにくいです。ただし、前述の新作ゲーム発表に合わせて本人名義で対談本やノベライズ作品を出版しており、出版物による印税収入はある程度あるものと思われます。
小島秀夫氏の生い立ち、経歴
小島氏の出生地・東京都世田谷区(Wpcpey, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons)
本名:小島秀夫
生年月日:1963年8月24日(60歳)
出生地:東京都世田谷区
職業:ゲームデザイナー、作家、ゲームプロデューサー
身長/体重:173 cm/65 kg
これまでに英国アカデミー賞のフェローシップ賞や日本の文部科学大臣賞を受賞しており、2001年には米『未来を切り開く10人』に日本人として唯一選出されるなど、輝かしい経歴を持つ小島秀夫氏。しかし、13歳の頃に父を亡くすなど、様々な困難を乗り越えてきたと言われています。
幼少期〜学生時代
生まれは東京都で、年少の頃に家族とともに兵庫県に移り住んでいます。父親の影響で小説や映画に熱中する日々を送り、将来は作家か映画監督になることを夢見ていたようです。
高校に進学してからは友達とともに映画を制作するようになりますが、父親を亡くした関係で芸大への進学を断念。普通大学で経済を学ぶかたわら、当時流行していたアーケードゲームに熱中するようになります。
ゲームに熱中〜コナミ入社
小島秀夫氏はファミコンの大ヒット作『スーパーマリオブラザーズ』に感激したと言われており、同作との出会いがゲームクリエイターを志すきっかけとなったようです。同作の生みの親である宮本茂氏とは親交があり、小島氏は宮本氏を恩師として慕っています。
その後はコナミに入社し、24歳の時に初監督作品の『メタルギア』が発売されます。敵に見つからないように進むという斬新なコンセプトで人気となり、シリーズ化された現在では小島秀夫氏の代表作として認識されています。
独立〜現在まで
その後もメタルギアシリーズの監督を務め、1997年に発表した『メタルギアソリッド』で世界的な成功を納めます。このころから小島秀夫氏の年収は右肩上がりに増加していったと考えられ、知名度と名声に合わせて一際大きな額を受け取っていたものと思われます。
転機が訪れたのは2015年で、突然のコナミ退社が衝撃を持って受け止められた時のことでした。社内上層部との意見の相違が原因とされており、小島秀夫氏の下で働くクリエイター達も厳しい境遇に喘いていたと言われています。
ニューヨークを訪問中の小島秀夫氏に会いたいと述べるカニエ・ウエスト(該当ツイートは削除済み)
その後は手持ちの資産を利用して自らのゲームスタジオを立ち上げた小島秀夫氏。特に2019年の『DEATH STRANDING』発表後は、国際的な知名度と評価を急激に上昇させています。人気ハリウッド俳優のトム・クルーズは『メタルギア』シリーズのファンとして知られており、同じくハリウッド出身のマッツ・ミケルセンとはゲームを通じてコラボを果たしました。
2018年には人気ヒップホップアーティストのカニエ・ウエストが自身のTwitterアカウントに「小島に会いたい」というツイートを投稿するなど、まさに世界セレブリティーへと上り詰めた小島秀夫氏。今後の動向にも大きな注目が集まっています。
小島秀夫氏の成功秘話
ゲームショウで登壇する小島氏(Nikita from Russian Federation, CC BY 2.0 <https://creativecommons.org/licenses/by/2.0>, via Wikimedia Commons)
ゲーム制作者としては異例と言えるほどの資産を築き上げてきた小島秀夫氏ですが、成功の秘訣はあるのでしょうか?「小説や映画がやりたいが、ゲーム作りが性に合っている」と語る小島氏の成功秘話を紹介します。
本屋通い
小島秀夫氏はいわゆる「本の虫」と言われており、「毎日本屋に通う」と発言したことでも知られています。これは誇張ではないらしく、実際に本屋に行って各コーナーを一つひとつ念入りにチェックする入れ込み様だと伝えられています。
情報誌から政治・経済本はもちろん、フィクションや漫画までチェックする徹底ぶりで、常に新しい情報を求める姿勢はクリエイターの鑑だと言えるでしょう。様々な情報源から貪欲に知識を吸収することで、複雑な脚本やプレイヤー視点のゲーム作りを可能としているようです。
逆の発想
小島秀夫氏のデビュー作『メタルギア』は、敵を倒さずに進むという逆転の発想がセールスにつながったと評価されています。その後の作品でも幾度となく革新的なアイデアを導入しており、小島氏の成功は柔軟な考え方によるところが大きい様です。
サプライズ好きとしても知られており、人の好奇心を掻き立てることに長けているとも言えます。こうした能力はゲーム作りに直接役立つだけでなく、後述の人間関係構築や、その先のマーケティング戦略にも影響を与える要素だと言っていいでしょう。
広い人脈
小島秀夫氏は人脈が広いことでも知られており、ゲーム業界はもちろん、広告業界や映画業界にも親交の深い人が多数いると言われています。海外の業界人にも積極的に接触しており、映画監督やデザイナーを中心に様々な国の人々と親交を結んでいます。
このことはコンテンツマーケティングを成功させる上で必須とも言え、開発を容易にしたり、作品を売り込んだりするための手法だとも言えます。実際、小島秀夫氏は自身の作品や宣伝を通して有名人とコラボすることが多く、売り上げからの資産増加に直接役立てている様です。
小島秀夫氏から学べること
小島秀夫氏は、才能と努力を掛け合わせることで資産を築きあげてきた人物です。夢に向かってひたむきに取り組む姿勢は、起業家やビジネスマンにとっても共感できるところがあるでしょう。本屋通いや人脈作りの戦略は、そのままビジネスに応用が利くかもしれません。
また、自社設立を通して資産を拡大させる決断は、商才を感じさせる動きだとも言えます。このあたりは、大学で学んだ経済学が役に立ったと言えるでしょう。MBA進学などを考えている人は、小島秀夫氏の生い立ちや経歴から成功を掴むためのヒントが得られるかもしれません。