総合ディベロッパーとして、主要なリゾート地域におけるホテルの開発と運営、また都市部における大規模な複合施設の開発を専門を行う、株式会社森トラスト・ホールディングス。その会長である森章氏は、世界長者番付で常に上位にランキングされている、日本有数の資産家です。
そんな日本の街を変革する人物は、今日までどのような変遷を経て、資産家へと成り上がったのでしょうか。本記事では、森章氏の資産や年収、そして生い立ちなどを解説していきます。
森章氏の資産とは|資産の内訳
森章氏が会長を務める森トラスト・ホールディングス社の事業からわかるように、同氏の資産は不動産、ホテル&リゾート、そして投資で得たリターンの合計となります。
現在、同社グループの主要企業は31社にのぼります。そして、森章氏は都市開発を慎重に行う一方で、日本初の法人会員制倶楽部「ラフォーレ倶楽部」を設立するなど、資産を大きく動かすこともあります。
その結果、2023年3月期の森トラスト・ホールディングス社の純利益は530億円。そして、Forbesによる長者番付によると、今年の森章氏の資産額は3,790億円で、日本19位となっています。
森トラスト・ホールディングス社とは
森トラスト・ホールディングス社は、日本の不動産およびホテル運営事業を中心とした企業グループであり、その事業は不動産開発、投資、運営に及ぶ広範な分野をカバーしています。また、同社は、オフィスビル、商業施設、住宅、ホテルなどの開発を行っており、これらの事業を通じて、不動産分野での幅広いニーズに応えています。
例えば、ホテル事業においては、東京都内の「コンラッド東京」や「東京マリオットホテル」「東京エディション虎ノ門」などの高級ホテルを運営。これらのホテルは、その豪華さと卓越したカスタマーエクスペリエンスで知られ、国内外のゲストから高い顧客満足度を得ています。
さらに、インバウンドマーケティングによる需要を見据えて、ハイエンドな外国人観光客向けの「紫翠 ラグジュアリーコレクションホテル 奈良」を開業。また、「東京エディション銀座」の開業も進めています。
オフィスビルや商業施設においても、森トラスト・ホールディングス社は「東京ワールドゲート赤坂/赤坂トラストタワー」や「東京汐留ビルディング」など、東京のランドマークとも言える施設の開発に携わっています。そして、これらの施設はそのデザインと多様なテナントミックスによって、都市の新たな価値を創出し、人々が集う場所となっています。
加えて、森トラスト・ホールディングス社は持続可能な開発にも力を入れており、「品川御殿場エリア」や「神谷町エリア」などにおいて、環境に配慮した建築物の開発にも積極的です。これらの施設は、エネルギー効率の高さや環境に優しい設計により、環境保護への同社の取り組みを反映しています。
他にも、産業支援プロジェクト「CoCo JAPAN」を推進し、日本各地に点在する逸品を国内外へPRするなど、産業支援にも努めています。
このように、森トラスト・ホールディングス社は、多岐にわたる事業を展開し、それぞれの分野で革新的かつ持続可能な開発を推進していることで、不動産業界におけるリーディングカンパニーの一つとしてその地位を築いています。
森章氏の年収
前述の通り、森章氏の資産額は3,790億円です。一方で、それでもなお、同氏は積極的な事業投資を仕掛けています。
たとえば、北海道苫小牧において、東京ディズニーランド20個分にも及ぶ「国際リゾート村」の開発を行う株式会社MAプラットフォーム。投資を主体としたこの会社設立費用は、なんと森章氏個人の全額出資によって設立されました。資本金額は、160億円とのことです。
このように、超高級リゾート事業への活発な投資を続けていることから、森章氏の年収は今後さらに増えていく可能性があるでしょう。
森章氏の生い立ち、経歴
森章氏は世界的な実業家として知られていますが、森一族の中でも、彼のビジネスに対する哲学は異なる姿をし、成長を遂げてきました。
森章氏がどのようにして試練を乗り越え、ビジネスを追求し、最終的な成功へとたどり着いたのか。以下では、その背景にあるストーリーを掘り下げていきます。
森一家の三男として誕生
1936年に誕生した森章氏。父は、森ビルおよび森トラスト・ホールディングス社の創業者である森泰吉郎氏。そして、経済学者の森敬氏と、森ビル現社長の森稔が兄であり、森章氏は一家の三男として育てられました。
湘南で過ごす学生時代
森泰吉郎氏の三男として生まれ育った森章氏は、高校は慶應義塾に進学します。その時代は、多数の政界や経済界の大物が別荘を構えていた湘南の地で、多くの時間を過ごしたといいます。
そして、そのまま慶應義塾大学の経済学部へ進学。1960年3月に同大学を卒業しています。
銀行マンの道へ
森ビルでのビジネス経験に強いイメージをもたれる森章氏ですが、大学卒業後は安田信託銀行(現・みずほ信託銀行)に入行しています。
彼が銀行の道へと進んだ背景には、森家の家訓があるようです。当時、2人の兄はそれぞれ学者と不動産の世界に進んでいました。
そのような中、家訓の1つ「マネしてはいけない」に共感を得ていた森章氏は、彼らとは違う道に進むことを決意。そして1960年4月、あえてサラリーマンとして安田信託銀行に入行しました。
若手サラリーマンの挑戦
「マネしてはいけない」という教訓の通り、森章氏は一人の銀行マンといえど、時代を先取りしたアクションを取っていきます。
たとえば、今の時代では当たり前に行われる、コンピュータを使ったデータ収集や解析。まだまだ紙媒体が主流だった当時ですが、彼はこの頃からコンピュータの力に目をつけ、ビッグデータ分析で新しいワークフロー導入に取り組みます。
他にも、銀行の再編や、シルバービジネスへの着手など、若手サラリーマンとは思えない挑戦の日々を過ごします。
森ビルに入社
安田信託銀行を12年という歳月勤めあげた後、1972年4月、ついに兄の森稔も在籍している森ビルに入社します。
また、入社と同時に、取締役社長室長への就任も決定しました。
森ビルグループから離脱
父の森泰吉郎氏が1993年に死去した後、兄の森稔氏が社長に就任。一方で、森章氏は、森ビルグループの1つであった森ビル開発株式会社の社長に就任しました。
しかし、事業理念の異なる兄弟は、それぞれの理念に沿って違う道を歩んでいくことになります。1999年9月、森ビル開発株式会社は森ビルグループから分離独立し、現在の森トラスト株式会社に改名しました。
分離独立した際には、他に森産業トラスト株式会社や森観光トラスト株式会社が主要会社として存在していました。しかし、前者は2003年8月に、後者は2006年10月に森トラスト株式会社に吸収合併しています。
森トラスト・ホールディングス社の拡大
森トラストグループの持株会社として、森トラスト・ホールディングス社の事業拡大に取り組む森章氏。
銀行マン時代に培った、数字への強さを活かして、前向きに、しかし着実な利益創出を実行していきます。
そして、2023年現在、 森トラスト・ホールディングス社は31社の企業群からなるグループへと飛躍。日本の街を支え、開拓する主要ディベロッパーとなっています。
なお、現在は森ビルとの資本関係は一切なく、森トラスト・ホールディングス社の建物には「森」や「ヒルズ」という呼称を使用せず、代わりに「トラスト」の名を使用しています。
総資産3,790億円の長者へ
2023年3月期業績報告では、森トラスト・ホールディングス社の営業収益は2,666億円で、営業利益は655億円。そして、純利益は530億円となっています。
その結果、森章氏は資産額は3,790億円に。日本第19位の長者として、堂々と君臨しています。
森章氏は森トラストでどのように成功したのか
森章氏のビジネスにおける成功の理由は、森家の優れたDNAだけに限りません。彼自身の銀行マン人生や、森ビルでのリーダーシップ、そして森トラスト・ホールディングス社での独自のブランドマネジメントも、今日の成功への大きな経験となってきました。ここで、同氏が森トラストでどのように成功したのか、具体的に紹介していきます。
森章氏の名言
森章氏が成功に至った理由は、同氏の名言の数々からも考察できます。
“新しいシステムを運用する際は、往々にして経験が邪魔をする場合があります”
“日本は経験者を重視してしまう傾向がありますが、機械の進歩は飛躍的に進んでいます。経験や、今あるものから積み上げて発想しても、あっという間に陳腐化したり、時代に不適合となる可能性が高い”
これらの言葉は、銀行マン時代に早くからコンピュータに触れ、データ分析という新たな発想からビジネスを行なった森章氏だからこそ出る発言でしょう。株式会社MAプラットフォームで160億円出資し、今なお攻めの投資を続ける同氏の姿勢からも、この発言の大切さがわかります。
“不透明な中だからこそ事象を俯瞰して眺め、企業として安定的な基盤を整えつつ、多面的に布石を打っていく必要がある”
“新しいシステムの性能がもたらされる由来を知るより、その性能を何に、どのように活用すると有効な成果を得られるのか発想する力の方が重要”
このような森章氏の言葉も、攻めの姿勢を見せつつも、間違いのない利益ベースで物事を進めようとした銀行マン時代の経験から来るものでしょう。
むやみに投資するのではなく、あらゆる分析データやトレンド、時代背景を考慮する。そして利益創出を計算できる状況下で行動を取っていく森章氏の考えは、まさに森トラスト・ホールディングスでの成功に繋がっているでしょう。
森章氏の森ビルグループ離脱
父である森泰吉郎氏の1993年の逝去後、森ビルの指揮は森稔氏と森章氏が引き継ぎました。
しかし、森稔氏が社長に昇格する一方で、森章氏は森ビルの重役から森ビル開発株式会社のトップに就任。
そして、1999年には森ビルと森ビル開発は正式に分社化されました。さらに、この動きの一環として、森ビル開発は森トラストに改名。続いて2004年には、両社の株式の持ち合いが解消され、森トラストは東京証券取引所の一部市場に上場を達成しました。
ここで注目すべきは、この兄弟の経営スタイルは対照的であったにも拘らず、今ではそれぞれの企業の成長に貢献していることです。兄の森稔氏は、理想を追求するタイプで、単なる不動産ビジネスにとどまらず、都市の再生に情熱を注いでいました。その証拠として、言わずと知れた六本木ヒルズの再開発があるでしょう。
一方、森章氏は信託銀行に勤務していた経験を生かし、現実主義者として事業を牽引。しっかりとした収益構造の確立に注力しました。
このように、兄弟がそれぞれの得意分野を追求し、独自のブランド戦略で会社を率いることにより、各自はそれぞれの道で成功を収めることができています。
森章氏の資産を種別に考察
森章氏の2023年現在の総資産は、3,790億円。そして、この資産は主に森トラスト・ホールディングス社のグループ主要企業全体、および株式会社MAプラットフォームから獲得する利益によって支えられています。
まず、森トラスト・ホールディングス社の2023年3月期は、営業収益2,666億円で営業利益655億円。当期純利益は530億円で、前期比31.4%増となっています。
米国での複数の不動産取引に成功したこと、そして新型コロナウイルスに対する国境制限措置の緩和が引き金となり、ホテル事業からの収益が上昇。その結果として、会社の営業収益および営業利益は共に増加し、前期比で増収増益を達成したとのことです。
一方で、起業資金を森章氏自ら出している株式会社MAプラットフォームの決算公告では、純利益は6億1,400万円で前期比12.54%減となっています。しかし、利益剰余金に関しては49億2,200万円で、前期比10.19%増と、堅実な経営がなされています。
また、森章氏は今後の投資先として、気候変動対策の分野を選択する予定であることを明言しています。特に、CO2排出ゼロに関する事業を今後の成長分野として魅力を感じており、この事業が伸長するに従って、同氏の資産は今後さらに大きくなっていくでしょう。
まとめ|森章氏の成功からの学び
森章氏の人生は、彼が独自の道を切り開いた方法から、多くの学びを私たちに提供しています。
そして、総じて彼の成功は、変化を恐れず困難に立ち向かい、そして自分の価値観に忠実であることの重要性を示しているでしょう。
たとえば、あえて他の家族とは異なる、銀行マンというキャリアパスを選択したこと。そして、そのキャリア内ではコンピュータとデータ分析の重要性を理解し、時代を先取りしたビジネスを展開したこと。さらには、森ビルへ入社するも、彼が自分の道を追求する決意を固め、個人の目標と家族との関係の間で巧みにキャリアをナビゲートしたこと。
また、これらの結果として、森トラスト・ホールディングス社が巨大な成功を収め、森章氏の資産が日本19位の3,790億円に到達していること。
これらから分かるように、彼の物語は個人の原則を守りながらも、社会や市場の変化に適応し、長期的なビジョンの下で行動することの力を明確に教えてくれるでしょう。